お風呂で精通を迎えた小学生が、映画『硝子の塔』を見ながら射精しちゃいました

私が初めての射精を体験したのは、小学5年生の時でした。

一人でお風呂に入っていた時、湯船の中でふと、自分のおちんちんの皮がめくれることに気づいたのです。気になって何度がおちんちんの皮を手でひっぱっていると、だんだんと下半身が熱くなってきました。

当時はまだ性についての知識はほとんど持ち合わせていませんでしたが、

「すごくいけないことをしている」ということだけはよくわかりました。

ただ、それ以上に「このまま進むと何が起きるのだろう」という好奇心、そして何よりも下半身からこみあげてくる快感に負けて、おちんちんをいじり続けてしまいました。

しばらく繰り返すうちに、おちんちんを包んでいた皮は完全にずり落ち、真っ赤な先端部分が顔を出しました。幸いにも、というべきか、不思議と痛みは全くありませんでした

(これはだいぶあとになってわかったことですが、どうも、皮が伸びやすい体質だったようです)。

おちんちんを右手で握って、上へ下へと、包皮を引っ張るように刺激を与え続けます。さらに、少しずつおちんちんを握る力を強くしていきました。そうすると、むず痒いような、それでいて気持ちいいような、うまく言葉にできない感覚が体の奥からだんだんと込み上げてきたのです。

これこそがまさに「快楽」というべきものだったのでしょう。もちろん当時の私にはそんなことはよくわかっていませんでした。ですが、目の前の気持ちよさに誘われて、さらに力強くおちんちんを刺激し続けたのです。

今や私のおちんちんは、かつて見たことのないくらい立派なサイズに成長をしていました。特に先端部分は刺激に敏感で、軽く自分の手でなでるだけで全身に電気が流れるような快感を味合わせてくれました。そしてその先端からは少しずつ透明の液体があふれ出しはじめたのです。

正直、これ以上続けると自分がおかしくなってしまうのではないか、と思いました。でもそれ以上に、もう少しおちんちんを握る力を強くすれば、今感じている気持ちよさをはるかに上回る何かすごいことが起こるのではないか、その何かを何としても体験してみたい、そんな気持ちがどんどんと強くなっていきました。

そしてついに、その時がやってきました。下腹部が熱くなり、その熱がおちんちんを伝って先端部分まで上がってきます。おしっことは違う、もっと熱くて、むず痒くて、気持ちいい何かです。もう、最後は無心でおちんちんを刺激し続けていました。その快感がピークに達したとき、突如おちんちんが、そして下半身が痙攣を始めました。おちんちんの先端からは大量の白い液体が打ち出されて、湯船の中に白い蜘蛛の巣のように広がっていきます。今まで経験したことのない気持ちよさが全身を駆け巡りました。すべてを出し尽くした私は、なかば放心状態で、精子まみれの湯船の中を漂いながら、快楽の余韻に身を沈めていました。

そのあとのことは、今となっては記憶もだいぶあいまいです。ですが、とにかく強い疲労を感じたことだけは記憶に残っています。ただ、息が落ち着くまで、おちんちんの様子を湯船の中で眺めていました。

ろくな性知識を持ち合わせていなかった当時の私でも、これが家族にばれてはいけないことだということはわかっていました。そこで、どうやったのか憶えてはいませんが、湯船の中で白い糸のように固まっていた精子を手で救い上げて排水溝に流し、体をもう一度洗ってからお風呂をでました。

これが私の初めての射精体験です。この体験以来、お風呂の中でのオナニーに夢中になってしまったのです。

最初は湯船の中で手の刺激だけで満足していました。ですが、しばらくすると、お湯の中よりもお湯の外でするほうが気持ちいいことに気づきます。さらに、ただおちんちんの皮を引っ張って刺激を繰り返すよりも、クラスメイトや幼馴染の女の子の裸の姿を思い浮かべながら刺激したほうが、気持ちがよいことにも気づきました。

覚えたての子どもの好奇心と吸収力は今考えると恐ろしいものです。初めての射精から半年もしないうちには、お風呂だけでなく、トイレで、寝室で、さらには放課後の教室で、果ては公共バスの客席で、ありとあらゆるところでオナニーをするようになってしまいました。

ちょうどこの時期、小学校5年生の秋ごろだったと思いますが、小学校でも性教育の授業がありました。性知識の乏しかった私も、ようやく男性と女性の体のつくりの違いや、男性が女性の体を見て興奮すること、興奮すると精子が出ることなどを知識として学ぶことができたのです。

性についての知識がついたことで、これはオナニーという行為で、「はずかしいことなのだ」ということもはっきりと理解をしました。ですが、それとは裏腹に、いやむしろその背徳感がスパイスとなって、私の性欲どんどん強まっていきました。

私は当時の同級生のたちの中で取り立てて目立つタイプの存在ではありませんでした。どちらかというと静かに一人で本を読んでいるタイプで、友達もあまり多くありません。もちろん女の子たちと積極的に遊ぶようなこともありませんでした。

ですが、どうも性欲についてはだれにも負けないくらいに強かったようです。女の子の裸を見てみたい、おっぱいやお尻をさわりたい、そして恥部をなめてみたい、そう強く願うようになりました。

とはいえ、当時の私の身の回りには、そうした欲望をかなえる機会はありませんでした。もちろん、私の願いをかなえてくれるような女の子はいませんでしたし、また、インターネットも普及していなかった当時、アダルト画像や動画は小学生にとってはるかに遠い存在でした。

そこで私がたどり着いたのが、新聞の中に織り込まれていた女性用下着のチラシです。

今ではあまり見なくなりましたが、私が子どものころには、新聞には近所の衣料品店などのチラシがたくさん入っていました。その中に、週に一度くらいの頻度でしょうか、女性用下着のチラシが入っていることに気づいたのです。

大半は30代くらいの女性がモデルでした。ですが、中にはジュニアブラ、スポーツブラやショーツのモデルとして、同世代や少し上の世代の女の子の写真もありました。

そうしたものを集めては、何度も何度もオナニーを繰り返しました。同世代の女の子たちの胸やおしりのふくらみが気になり始めた時期でした。とくに同世代の女の子たちのスポーツブラや、ショーツ姿の写真は一番のお気に入りで、毎日こそこそと古新聞の山を探っては、そうした写真の載ったチラシを集め続けていました。

チラシの中で笑顔でポーズをとる少女を見つめながら、その姿をクラスメイトの女の子たちに重ねます。そしてそのブラジャーやショーツの下にあるはずの、まだ見たことのない部分について想像を果てしなくめぐらしました。そのスポーツブラの後ろに隠されたふくらみを撫でまわしたい、ショーツに隠された恥部に顔をうずめてみたい、そこをなめるとどんな味がするのだろうか、そんなことを妄想しながら、毎日のようにおちんちんをしごいたのです。

いつもフィニッシュは決まってチラシの写真の上でした。写真に写された同世代の女の子の顔にめがけて射精すると、とてもいけないことをしているという背徳感をおぼえました。その背徳感が病みつきになり、ますますオナニーが止められなくなっていったのです。

そうした小学生時代の性体験で今でも忘れられないのが、小学6年生の時にみた映画「硝子の塔」でのオナニーです。

30代後半以上の方はご記憶にあるかとも思いますが、シャロンストーンは1990年代にハリウッドの「セックスシンボル」として活躍した人気女優です。金髪、色白で長身スレンダー系の体系に艶めかしく長い脚。映画「氷の微笑」で、取調室の中で悠然と足を組み替える姿は、多くの映像作品でパロディにもされていますので、「映画を見たことがなくてもそのシーンだけは知っている」という方も多いのではないかと思います。

映画自体は、セキュリティ完備の高層マンションに住む女性ジャーナリストが、マンションの中で起きた不審死事件に遭遇したことをきっかけに、同じマンションに住むミステリアスな大富豪の青年と危険な情事に溺れるようになる、といったお話です。

この映画を私が見たのは、小学6年生の夏休みのとある午後のことでした。前日夕方のアニメを録画したつもりが、何かの間違いで、深夜の映画チャンネルを録画してしまったのです。

その日は、たまたま両親と幼い弟はそろって外出をしていて、家には私一人しかいませんでした。楽しみにしていたアニメが見られず、はじめは変なサスペンス映画だと思ってみていたのですが、40分ほど過ぎたところだったでしょうか、突然濃厚なラブシーンが始まったのです。

テレビの中では、金髪の美女とミステリアスな青年がソファーの上で濃厚なディープキスを繰り広げています。やがて青年の手は美女の体に延び、服が捲し上げられ、激しい愛撫が行われます。

私は、後にも先にもこのときほどの性的興奮を感じたことはありません。手がおちんちんへと伸びていくのは自然な流れでした。

おちんちんの先は、すでにこれまで経験したことがないほど大きくなっていました。長さは優に手のひらを超え、包皮がめくれて先端部分が完全に露出しています。しばらく刺激を加えると、おちんちんの付け根のしこりの部分が大きく怒張して、そこに包皮が引っかかり、満足にしごくこともできなくなりました。

興奮はピーク達し、もはや「気持ちよくなりたい」以外のことはほとんど考えられません。おちんちんの先端部分はすでに十分に熟し、透明な液体をたたえています。その敏感な先端部分をてのひらで刺激すると、痙攣するほどの快感が全身に流れました。おちんちんは自分自身のものとは思えないほどに硬くなり、握りしめると熱く脈打っていることが感じられます。

もはや私は、何をするべきか考えることもできず、ただただ快楽の虜となっていました。
これまでのオナニーとは全く違う快感が込み上げてきます。身もだえするような気持ちよさです。いよいよ本当に我慢が限界に近づいてきます。それでも必死に左手でおちんちんを強く握り、右手の手のひらでおちんちんの先端を激しく攻め続けました。

映画の中では、いよいよ美女は一糸まとわぬ姿となり、青年の体の上に跨ります。青年は女性に優しい言葉をかけながら、何度も何度も激しく体を突き上げます。美女の嬌声がテレビを通じて部屋中に響き渡り、それにつられるようにどんどんと興奮が高まっていきます。

美女の嬌声につられて私のオナニーがさらに激しくなった時、ついに限界が訪れました。下腹部からまるで熱い血が上がってくるような感覚に襲われ、あまりの刺激に驚いた私はとっさに自分の両手の手のひらでペニスの先端を抑え込みました。このままでは居間のカーペットに精子がついてしまうと思ったからです。

ところが、そんな努力は何の効果もありませんでした。いまだかつて経験したことのない大量の精子が、猛烈な勢いで、そしてとめどなくあふれ出してきたのです。下半身が痙攣でも起こしたかのように、がくがくと震えるような快感を味わいました。おちんちんは力強く脈打ち、何度も繰り返し大量の精液を吐き出します。

気がつくと、私の両手は指の間まで精子まみれになり、おなかの上にも大きな白い水たまりができていました。

あれだけの量の精子が出たことは、それまで一度もありませんでした。まるで魂まで外に吐き出してしまったかのような、何もかもやり遂げたかのような虚脱感に襲われたことを憶えています。

このあと、残る夏休みの間に、私は数えきれないほどの回数、「硝子の塔」のラブシーンでオナニーを繰り広げました。

実はこの映画、非常に官能的な作品ではあったのですが、女性の乳首や恥部は巧みなカメラワークによって隠されています。ですから、隠された先にあるものを見てみたい、という願いはこの作品によってもかなえられることはありませんでした。一瞬でも映るシーンはないかと、何度も何度もコマ送りで見たこともありましたが、残念ながらありませんでした(シャロンストーンの「本当に一糸まとわぬ姿」を見ることができたのは、中学生になって、レンタルビデオで「氷の微笑」を視聴してからです)。

それでも、「硝子の塔」で繰り広げられた濃厚なセックスシーンは、小学6年生だった私にとっては十分に刺激的なものでした。当時は、「大人になったらあんなことができるのか」「早く大人になってきれいな女の人とあんなことをしたい」と切望し、妄想を繰り返していたことを憶えています。

「硝子の塔」は、当時ろくに自分の体のことも理解していなかった自分に、セックスとは何かを教えてくれた、まさに黒船のような存在でした。いまでも、シャロンストーンは、私にとって代わらずナンバーワンのセックスシンボルです。まさに私の性体験の原型を形作った映画です。

 

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