性欲に目覚めて1年目くらいの小学6年生の自分が最初に女性の覗きをしたのは教室での着替えだった。
当時の小学校の教室はいたって普通の教室で窓やドアにもカーテンなどなくその気になれば外から丸見えの状態だ。
当時は今では信じられないことだが、同じ教室で体育の授業の際には男女ともに制服から体操着へと着替えていた。
なお水泳の授業のときは女子は別の更衣室での着替えだった。
着替えで小6の当時に興味の対象だった女子は21から22人中の約13人ほど。
13人のうち2人は最初のうちは何も感じてなかったのかインナーが丸見えで堂々と着替えていた。
残りの女子の多くはできるだけ見られないようにするために器用に着替えていた。
しかし時折にして下着がチラ見できるときがあり、それが性欲への興奮へとつながっていった。
興味のある13人ほどの中でブラジャーをしていたのは2人ほど。
でも自分の中ではブラジャーよりも興味をそそっていたのは今ではほとんど女性が着ることなくなったスリップ(シミーズ)だ。
当時はまだ多くの女子がスリップを着用していた。
このスリップとブラジャーとパンツの3点セットが見えるのが自分の中の目標だった。
3点セットのなかで自分の中で一番ポイントが高いのはパンツだった。
なぜならブルマを日常的にスカートの下に履いてる子が多いので、パンツが全部見える確率は限りなく低かったからだ。
しかしそれでも体操服に着替えて最後にスカートを外したときにパンツがブルマから多くの子は1回ははみ出ていたりしていたので、その瞬間はさらなる興奮そのものだった。
性欲がこのようにして高まる中、自宅の部屋から見える近所の家があった。
その家は和風の家が多い当時にしては少数派の洋風な建物だった。
この洋風な家の風呂場の窓が開いてることに気が付いてこの日から風呂場の覗きが始まることになる。
風呂場の照明は白い蛍光色でとても明るかった。
風呂場の室内は今では床も壁も天井もFRP材質になり、天井には換気扇と冷暖房機能がついてるが、当時は空調機能はなく、壁の下部分と床はタイル張り、壁の上部と天井はモルタルでできていた。
また脱衣所と風呂場の仕切りドアはステンレスでできていて開き戸だった。
ここの家には20代と思われる若夫婦が住んでいたのだが、春先から秋口になると脱衣所の窓は常時全開、風呂場の窓も入浴前はかなりの確率で窓が開いていた。
もっとも真冬場はどちらの窓も、それ以外のシーズンでも入浴中は脱衣所は開いてるが、風呂場は閉まっているのだが。
ともかく窓がかなりの確率で開いてるのを見てさらに性欲への欲望がそそり立つ。
わざわざその近くまで接近しなくても家の部屋から見えるのだから危険を冒さずして大きなチャンスだ。
もっともばれない様にするために部屋の明かりを消してカーテンの隙間から双眼鏡で注意深く観察することにした。
今では高性能な望遠のビデオカメラなどあるのだろうが、当時は小学生だしそのような高価なカメラもなく今となってはある意味では残念だ。
さて注意深く張り込んでいると若奥さんがやってきて服を脱いでいきブラジャーとパンティー姿になった。
パンティー姿では時折ガードルパンティーの日もあり、普通のパンティーよりもそそった。
さらにブラジャーとパンティーも脱いでいくとおっぱいが丸見えになった。
おっぱいは貧乳でも巨乳でもない程よい大きさのようにも見えた。
ただ当時はDといえばかなりの巨乳なのに今のDはあまり巨乳のようには見えない。
定義が時代とともに変化したのだろうか?今調べてみるとおっぱいはEからGくらいはあるように思えた。
丸見えのおっぱいは脱衣所の窓から風呂場の窓へと移動し、風呂場の窓を閉めて入浴タイムになった。
残念ながらヘアは窓のサイズの問題でギリギリ見えなかった。
約20から30分後に入浴タイムが終わると今度は脱衣所へ出てくるのだが、旦那が次に入浴するときでも出るときに風呂場の窓を開けてから脱衣所へと移動することが多かった。
また旦那が先に入浴していても開けることが多かった。
閉めたまま出る日もあったが。
多分換気扇がついていないので次の人が入浴するとわかっていてもカビなどが生えにくくするために少しでも換気をしたいのだろう。
それに夏場は暑いだろうし。
脱衣所に移動しても脱衣所の窓はずっと全開のままだから身体をバスタオルで拭くなどしている間はずっとおっぱいは丸見えでサービス満点だらけだ。
このサービスはこれだけにとどまらず、風呂場の掃除でも披露してくれた。
風呂場の掃除は最後の人が入浴した後に行われていた。
掃除でのサービスは若奥さんの入浴タイムが先か後かで異なっていた。
後に入浴となると若奥さんは風呂場を出る前に裸のままで掃除を始める。
しばらくは窓が閉まったままだが、風呂場の窓を雑巾で水滴などをふき取るとここで窓が全開となる。
しばらくは姿が見えないのだが、やがて全裸のままで脱衣所と風呂場の仕切り開きドアのガラスの水滴を雑巾でふき取る。
この瞬間におっぱいがまた丸見えだ。
掃除が終わると脱衣所へ移動となるが、年に何度かは風呂場の何かのアイテムを脱衣所の床に置くため、上半身が前かがみになりながらの体勢となるので普段よりもお尻が高くつきあがる。
立ち位置もいつもと違う位置になるので、普段見えないおしりがドアのところで見える時が来てさらに興奮させてくれる。
もちろん脱衣所でもおっぱいが見えていたのは言うまでもない。
一方で若奥さんが先に入浴する場合は、掃除は旦那の入浴後になるので着衣となっている。
かと思いきやズボンが濡れるのを嫌うためなのか、上半身Tシャツで下半身はパンティー姿が拝めるときもある。
真冬だからといって侮ってはならない。
掃除の最後の風呂場から脱衣所へのときにパンティーが拝める一瞬を狙っていた。
パンティーで興奮する色はやはり白だ。
色まで細かく毎回記録はしてなかったが、ベージュの色もあった。
1回はライトグリーンというのもあった。
極めつけのサービスは昼間でも年に何度か興奮させてくれる。
夕方などに門前などをホウキなどで掃除してるときに夏場だと胸ちらで白いTシャツから白いブラジャーを拝ませてくれることもあった。
そんなサービスだらけの若奥さんの下着や裸は高価なカメラで撮影もできなかったのでせめてと文字で記録しておいたら多いときは1カ月で半分くらいは見える日が続いていた。
このようにたくさんのチャンスを与えてくれた覗きの日々だが、それが終わると自分はベッドに腹ばいになり、下半身の大事なペニスをズボンの上からこすりつけて刺激させて気持ちよくなっていた。
ベッドやカーペットの床に腹ばいになってベニスを上下動させてこすりつけていくと段々と大事な部分が膨らんでいって熱を帯びていき、うまく表現できないが、大事な部分が気持ちよくなっていくのがわかる。
この気持ちいい行為は昼間でも普通に1人で宿題やりながらでもやっていた。
これを書いている今でも同じだ。
ただ当時と今で違うのは、当時は気持ちよくなってもそこから先に精液が出なかったことだ。
今では気持ちよく出るのはいいが、出たために後始末で萎えてしまう。
出そうになってそれを抑えるために途中で妄想をやめるのに必死になることさえあるくらいだ。
しかし当時は出なかったのでいくらでも大事な部分をこすりつけて萌えることができていたし精液が出ることすら知らなかった。
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