ヌードグラビアでの初勃起
僕が初めて性的な快感を覚えたのは、小学1年生の時でした。
学校が終わると歯医者に通っていまして、
当時は待合室の椅子に男性週刊誌が平然と置いてありました。
僕の前に呼ばれたおじさんがひょいと置いた週刊誌を何げなく開いてみました。
まず目に飛び込んできたのは裸の女性のグラビアでした。
胸のあたりとわずかに開いた股間を手で隠している写真です。
胸を隠しながらも、人差し指と中指の間から茶色い乳首が覗いています。
その頃はまだヘアヌードは解禁されていませんでしたので、
ほとんどのヌード写真は股間を手で覆っていたと記憶しています。
今でも印象に残っているのは、裸の女性がスクーターに乗っている広告写真です。
両手でハンドルを握っているため、大きめな黒っぽい乳首と乳輪が丸見えの状態です。
裸でスクーターという通常あり得ない構図を見て、顔がカッと熱くなり、心臓がドキドキし始めました。
同時にオチンチンのあたりがジンジンとした気持ちよさに包まれてきます。
遂にオチンチンが固くなり、ズボンの中が窮屈になってきました。
待合室には他に誰もいませんでしたが、小さな男の子が椅子にチョコンと座り、本来絵本でも見ているはずが男性誌を見て顔を赤くしているのですから、もし受付の人にでも見つかれば、きっと叱られたことでしょう。
これが僕の初めての勃起体験です。
百科事典での裸婦画に欲情
小学4年の時のことです。
僕の部屋に「学芸百科事典」という本が全巻置いてありました。
たくさん勉強するようにと親が買いそろえてくれたのでしょう。
しかし、当時の僕は勉強嫌いで、外で友達とサッカーや缶蹴りなどするほうが大好きで、宿題すらまともにやらないのに、百科事典など見るわけがありません。
しかしある時、なぜかは覚えていませんが、開いてみると巻末に西洋絵画がたくさん掲載されていました。
それも古代神話を題材にした女性のヌードばかりが目につきます。
ドキドキしながら全部の巻を見てしまいました。
もちろんエロ絵画ではなく、今日でも芸術性の高さが認められ、ルーブル美術館などの権威ある場所に収蔵され、公開されるときは国立西洋美術館などで高い入館料を徴収されるであろう作品ばかりです。
それらを見た時、僕のオチンチンはたちまち固くなり、ジンジンとした気持ちよさに包まれました。
これは歯医者でヌード写真を見た小1の時と同じ感覚です。
自分の部屋にこんなエッチなものがあったということに改めて驚きました。
それからは、事あるごとに百科事典を開いていた記憶があります。
ある夏休みの朝のことでした。
4時くらいに目が覚めてしまい、オチンチンのあたりがムズムズしだし、
無性に百科事典の絵が見たくなりました。
目にしたのはブロンズィーノという人の「愛のアレゴリー」です。
もちろんこの頃はまだ作家や題名など知る由もありませんが、すごく有名な作品で、インターネットで検索すれば、あっ、これかと誰もが一度はご覧になっているものと思います。
裸のビーナスとキスするキューピッド、その手はビーナスの胸を愛撫しているではありませんか。
まさにセックスの時の前戯にしか見えません。
もちろん当時の僕はまだセックスなど知る由もありませんが、でも体が熱くなり、オチンチンがますますムズムズ気持ちよくなってきました。
腹ばいになりオチンチンを床に押し付けてみました。
そして静かに腰を左右に動かしてみるとオチンチンが擦られ、更に気持ちよくなってきました。
しばらくすると左足の付け根の付近がとても気持ちよくなってきました。
そのあまりの気持ちよさに思わず体がピクピクしだしたのです。
恐らくイッた、射精現象でしょうか。
まだその時には液体のようなものは放出していなかったと思います。
次第に気持ちが落ち着いてきて、何かわからないですが、罪悪感のようなものに苛まれてきました。
もうやめようと思ったのですが、夕方部屋で一人になると、また絵を見たくなるのです。
悪魔の誘惑とはこのような感じなのでしょうか。
開くのは「愛のアレゴリー」です。
絵を見ながらオチンチンを床に擦りつけると、朝と同じあの感覚を覚えました。
絵筆を使い亀頭を責めぬく
数日後、家族が外出するため一人になる時がありました。
今日は一日思い切ってやってみよう、しかも絵の登場人物たちのように自分も全部服を脱いでみようと思い立ちました。
部屋にある鏡に僕の裸が写ります。
いつもは5cmにも届かない小さくて包皮に覆われた丸っこいオチンチンですが、だんだん固くなり5㎝を超えるくらいまで細長くなりました。
オチンチンを床に直接押し付けるのははばかられたので、最近購入したばかりの新しい絵筆(ぺんてるの平筆14号という学校で使う中では一番太いサイズになります)を見つけ、それで直接撫でてみると気持ちいいのではと思い立ったのです。
まずは、お尻からです。
そっと撫でただけでビクンとなります。
でも、気持ちいいというよりくすぐったいという感じです。
次にタマのある袋を撫でてみますと、すごく気持ちよく感じました。
2分くらい撫で続けていると、どうも刺激に慣れてきたようで気持ちいいという感覚がなくなってきました。
そしていよいよ筆先をオチンチンに向けてみます。
少し開いた包皮から覗く鈴口を攻めてみると、ここが今までで一番気持ちいいことに気づきました。
この刺激は飽きることなく、いつまでも味わっていたいと思いました。
絵の中の裸で絡み合う男女を見ながらオチンチンを絵筆で撫でまわします。
そして、ふと見た鏡に映る僕は、目を細め、口を小さく開けてハアハアと息も荒く、最後にイク瞬間「はあっ」と小さく声を出していました。
自分のことながら、鏡の中の僕は相当いやらしいなと思いました。
この頃はまだ、オチンチンを刺激しても我慢汁は出ていなかったと思います。
この後のことになりますが、射精を経験してから出てくるようになったと記憶しています。
その他のエッチな西洋絵画
それからは、毎日のように絵筆を使ってオナニーをするようになりました。
絵も「愛のアレゴリー」だけではありません。
アングルの「泉」、これは水の流れる甕を持つ裸の少女の絵です。
小ぶりな胸と無毛の股間に興奮します。
まだ直接見たことのない、男性のものとは違ってスッキリとした股間をじっと見て、太もも
の内側を想像しながらオチンチンを撫でます。
ブーシェの「黄金のオダリスク」は、ソファーに横たわる全裸の少女のお尻がすごくリアルです。
柔らかなお尻を撫で摩り、割れ目に顔を挟んで舐め廻している僕を想像します。
ゴヤの「裸のマハ」は、ベッドに横たわって、まるで「さあ好きにして」と、胸を見せつけるように手を頭
の後ろに組んでいる姿にイチコロです。
大きな胸を思いきり揉みしだきながら、乳首を舐めている妄想に耽ります。
いろいろな絵をおかずにしながら絵筆で遊んでいました。
小学6年になる春休み、いつものようにオチンチンを刺激して左足の付け根が気持ちよくなったかと思うと、少量ですが粘り気のある水のようなものがヌッと出てきたことを覚えています。
びっくりした僕は、いつもこんなことをしているので病気になったのかと悩みました。
それからしばらくは、怖くて百科事典を開くこともできませんでした。
ある日、同級生のS君とエッチな話で盛り上がりました。
S君には中学生のお兄さんがいてエッチなことをいろいろと教えてくれるそうです。
射精もS君は毎日しているということでした。
処理については、ティッシュを使うと後で黄色くガバガバになってにおいも残るので、牛乳瓶に出してから洗ったほうが家族にもバレないと教えてもらいました。
安心した僕はそれから毎日朝晩必ずオナニーをするようになりました。
刺激方法も筆から手でやや強く擦ることに変え、より快感を感じるようになりました。
この頃には無色で透明な我慢汁が出てくるようになり、手で擦る時に潤滑液となって気持ちよさが倍増してきました。
また、精液の処理も牛乳瓶のおかげで誰にもバレずに済みました。
芸術絵画が子供のオナニーのおかずになるなんて、美術史家などが聞けば腰を抜かしてしまうかもしれませんが、美術の教科書に掲載されていた「ビーナスの誕生」を見て、オナニーしたいと思わない男の子なんていないと思いませんか?
以上が僕の小学生時代のオナニーの思い出です。
拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
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